21世紀キリスト教徒の信条 ー Credo 21

ここ一ヶ月間、教会に通うことになった。ドイツでは8年間も同じ教会に通って大切な出会いと学びを経験してきたが、日本に引っ越してから自分の信仰が根本から変化され、心がそのときまで当たり前として受け入れていたキリスト教からずいぶん離れてしまった。それはアジア学院でボランティア生活したときに他宗教と他宗派の人間と一緒に共同体で働いて信仰生活を分かち合うことによって始まり、そして芸大でそれよりも異様な世界観と知識に出会ってから発展した。そして私はいわゆる福音派から宗派を超えるキリスト密教に近寄ってきた。

それは孤独な話でもあるが、人生にとって掛け替えのない経験へとつながる成長だった。密教では宗派も宗教も科学もすべてを超える光と闇への道に踏み出し、全てが小ちゃくなるほどの神秘的な体験ができる。だからそれほど私は、一つの教会、一つの宗派にこだわる必要性を重視しない。

それでもこの東京に風に触られて教会を訪れることにした。今通いはじめたジーザス・ライフハウスは、私がもっとも疑う福音派の波に乗っているのだが、そこにいる人間は素晴しいし、何だか自分もワクワクする雰囲気を持つ特別な集会である。私が異端者であるからこそそこに色々と考えさせられ、最近かなり薄くなってきた信仰感を元気に出来る。

私はそこで、「今、何を信じて、何を大切にしているか」を問い、自分だけの〈信条〉を書きつけることを決めた。信条(ラテン語ではCredoと言うが)は信仰を限定し、バイタリティーを奪うという論点もあるが、これはあくまでも今の私の生涯巡礼のスナップショットとしてずっと残るものではないし、ファイナル・アンサーでもない。実際、これをよりよくしたい。21世紀のあるキリスト者の信仰。この新しい世界でキリスト教は何を意味し、何をもたらすべきか、消えたくなければそれを深く考えてエネルギッシュに前に進めばいい。この時代に、不寛容も教条主義もナショナリズムもキリスト教を略奪しようとするから、キリスト・イエシュアと歩むことが世の中に何よりもすごい光を与えることを主張しなきゃいけない。

一 ✙ 神
「我は在る」、ヤハウェとしてモーシェに自己を啓示した一つの神を信じます。

二 ✙ 起源
自己の気質の無限なる豊かさをあらわすために宇宙を生み出し、継続的な創造として生命の発展をゆるすことにより神が全ての源であることを信じます。

三 ✙ 人間
人間は、自己認識する生き物として創造主と創造にたいして特別な関係に置かれ、道徳感覚のためにその関係の仕方に関して固有の責任をもつことを信じます。

四 ✙ イェシュア
誕生・人生・十字架での死をとおして我らの運を分かち合うことにより神が「共にいること」を証し、死を克服することでそれを超える希望を与え、そして神の君臨の種を人の心にまくために神がナツェレトのイェシュアにおいて人間となったことを信じます。

五 ✙ 神の君臨
神の君臨をとおしてイェシュアは、悪の全ての現れに打ち勝ち、神との結び合いにおいて充実した人生を得て、いかに共に生きるかを教える愛の世界革命を呼びかけていることを信じます。

六 ✙ 聖書
聖書は神の精霊を息づいているから主な霊的指導をもたらす一方、それに加える真実の面がその他の人間の作品、そして万物をとおして表現されていることを信じます。

七 ✙ 信仰
信仰は動的な力、そして各信者の中に変化をもたらす主体であり、神の君臨に沿って啓発された世界を形成する自由、力、義務を与えることを信じます。


日本語にすると堅くなるな〜

一般のキリスト教徒が信じてることとはそれほど変わらないかもしれないけど、細かく突っ込むと異端が出て来る。いちばん重要な点だけを指摘して、言葉の意味を再議しつつユダヤ教徒キリスト教の伝統を一応意識しているとは思う。これは今のスナップショット・・・私的クレード。旅はつづく。

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